人々の幸せな生活を取り戻す
被災地復興のための
足掛かりとして
2011年に起きた東日本大震災。大きな被害を受けた福島県いわき市勿来町において、被災し移住を余儀なくされてしまった人々や、仮設住宅に避難している人々が安心して戻って来れる場所をつくる。そのための共同住宅建設プロジェクトが、2016年にスタートした。このプロジェクトは福島県から委託されたUR都市機構が発注者であり、これまで同じ福島の地で復興住宅建設に尽力してきた大成ユーレックは強い使命感からこれに応募した。住まう人々が安心して暮らすことができるだけでなく、優美さを併せ持つ住宅を建設するため、大成ユーレックの持てる力を結集した。地元のゼネコンとJV(共同企業体)をつくり、プロジェクト完遂に向けて、各メンバーが邁進する。
限られた時間と人員の課題を
チームワークで解決に導く
本プロジェクトにおいて最大の課題となったのは、その工期の短さだ。被災した人々に少しでも早く安心を届けるために、一日たりとも工期を遅らせることはできない。しかし、都心から遠く離れたこの地において、人や資材を予定通りに集めることは至難の業であった。「最終的に頼りになったのは、やはり人の力です。地元の人々の繋がりで専門工事業者を増員したり、関東からも専門工事業者を派遣するなど、人間同士の強い絆があったからこそ、建設工事を進めることができたのだと思います」現場管理を任されていた海老名は語る。また本プロジェクトでは5棟の住宅を建てる計画であったが、その中には大成ユーレックとしては初めての挑戦となる木造建築の建物もあった。統括管理を任されていた有馬は、木造建築の知識・経験を持ったメンバーを特別に招集し担当につけることで、この課題の解決に導いた。無いことを嘆くのではなく、その中から解決策を紡ぎだす。大成ユーレックの底力がここに発揮されたと言えるだろう。
細部にまでこだわり抜き
人々の生きる糧をつくり上げる
しかし、建設現場では人や資材が向き合わなければならないものがある。それは天候だ。本プロジェクトでも、工期中に台風が接近するなどし、計画通りに作業を進められない場面が数多くあった。「毎日計画を練り直し、その都度その都度、出来得ることを探しながら作業を進めていきました」そう語るのは主に外装工事の施工管理を担当した細谷。「外装は、外から建物を見た時の印象を決める重要な要素です。外装が美しくなければ、いくら内装にこだわっても魅力的な建物には映りません。そのため、目視でも細かくチェックをし、自信を持って人に見せられるように磨きをかけました」その言葉が示す通り、大規模な物件でありながら、細部にまで行き届いたきめ細やかさを併せ持ち、いわき市復興のシンボルにもなり得る住宅がここに完成したのである。これほど直接的に被災者支援に繋がる事業も多くはない。自分の仕事が、人々の生きる糧となる。他では味わえない大成ユーレックならではの仕事のやりがいだ。
福島復興のシンボルとして
元気な街の姿を取り戻したい
このプロジェクトの完遂をもって、大成ユーレックが約5年にわたって取り組んできた復興支援事業は一旦ピリオドを迎えることとなった。ここで建てられたいわき市の公営住宅は、今では多くの人が移り住み、大きな賑わいを見せている。「敷地内でお祭りが開催されたり、喜んでいる人々の姿がニュースなどで報じられたりすると、やはりこみ上げてくるものがありますね」そう語るのは現場で指揮をとった海老名だ。しかし、復興はまだまだ始まったばかりだ。「この住宅を基点として、周囲にもっと色々な施設が建てば、ますます住みよい土地になるはず」と、細谷は話す。「もっと多くの人に使ってもらいながら、よりたくさんの人を幸せにして欲しい」と語る有馬の目からは、やり遂げた満足感だけでなく、次代への期待の光も感じられた。このプロジェクトの成功を足掛かりに、いわき市が今後さらなる発展を遂げ、人と街をさらに大きな幸せで包んでくれることを祈っている。